インド~冷たい雨・ダラムサラ~

2011年04月06日

 

 

ここ数日、ダラムサラは冷たい雨に降られている。


標高1700メートルほどの街。
急な勾配の斜面の山肌に意外なほど多くの建物が建ち並び、屋上にはカラフルなタルチョがはためく。
元はイギリス植民地時代のイギリス人の避暑地であったという。


チベットを追われたダライ·ラマ14世や多くのチベット族の人が住む。
そのダライ·ラマ14世の住居や寺院仏塔などは一つの場所にかたまっている。


そのエリアにチベット博物館がある。


中国共産党による侵略やその統治などが写真と共に解説されている。


文化大革命にの流れで徹底的に破壊された寺院や、強制的に人民服を着させられたチベット人。
何より目を引いたのが、標高5700メートルの真っ白な雪山を歩きチベットを離れ亡命する人々の写真だった。


推定600万人のチベット人の中で14万人が亡命生活を送っているという。


中国語で「西蔵」と呼ばれるチベット。
蔵とはお宝の保管庫という意味らしい。西のお宝ゾーン。
森林資源に鉱物資源、何より共産党にとって軍事戦略的に「お宝」だった。



第二次大戦中連合国側の支援物資が国内を経由し、中国側へ運ばれることを拒んだチベット。
後にその平和な独立国は人民軍に蹂躙され、そこに住む人々の自由も奪われた。



正当性の全く無い共産党によるチベット支配。



世界の警察気取りの国たちは、アフガンやイラクに爆弾の雨を降らせ傀儡政権を打ち立てようとする。
彼らが朝鮮やベトナムで学んだのは、自国の兵隊の犠牲者を少しでも少なくして国内の反戦ムードをなくすという事だけなのか。おかげでミサイルや爆弾はえらく進歩したんだろう。



何故にチベットで共産党とは戦わなかったのだろう。どえらい戦争になると予想したからだろうか。
自国に利益がないと考えたのか、大戦後の混乱でどうしようも無かったのか。冷戦ってやつか。



しかしダライ·ラマ14世はそれを望まなかったに違いない。
彼の考える、共産党との対話をもって中国国内での真の自治を求めるという平和的で非暴力的なアプローチは世界の警察の大統領をうならせた。


しかし、共産党はその話を他人事のようにチベットの漢化を進めている。
チベット自治区の学校の授業を中国語で行おうとしていたりする。


インドの独立の父、マハトマ·ガンディーも非暴力を貫いた。
そのインドはチベット難民に居住地を与え、学校も作り彼らに自由を与えた。
多民族国家ゆえの懐の広さなのか。


インドに暮らすチベットの人達は比較的豊かに暮らしているようにも見える。
デリーのマジュヌカティラやここダラムサラでも物乞いはインド人しかいない気がするし。


このダラムサラに来て少しは僕も「平和」とか「チベット問題」について感じる事が出来た気がする。
 

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