ベトナム~フエの町~

2006年11月15日

ハノイという大都市に比べ、だいぶ穏やかな時間の流れるフエの街。 


ここに来てから、やっと物価も分かり始めてきた。街を歩いていても、ハノイの下町のように迷うことも無く歩くことが出来る。何日か街を歩いていると、最初はしつこかった客引きも普通に挨拶をかわすようになった。 


フエは僕のホテルのある新市街とフエを王都ととしていた時代の旧市街のあるエリアが幅広い河で区切られ、大きな鉄製の橋でつながれている。旧市街にはベトナム戦争や更にさかのぼったフランス統治からの解放戦線についての博物館がある。 



その博物館の前には、ベトナムに侵攻したアメリカ軍から押収した戦車や自走砲が雨ざらしの野原に飾られ、その赤く錆びた鉄の塊が椰子の木の並ぶ公園に奇妙な絵を描く。 


ベトナム戦争をテーマにした映画の光景を思い出す。椰子の木の茂る中を照明弾で照らされた道を進む戦車隊。そんなシーンが浮かぶ。僕が生まれるちょうど一年前にベトナム戦争は終わっていたのに。 



王宮の城壁にもベトナム戦争の傷跡が残る。身振り手振りでジュース売りに聞聞いてみた。 


「この穴は何なの?」 



ジュース売りは鉄砲を構える身振りや弾が飛んでくる仕草をした。やはり戦争の傷跡のようだった。砲弾を受けた城壁の大きな穴には、緑がキレイな雑草が生えていた。 




夜になって、スーパーに買出しに行ってその側のビアホイ(日本で言うビアガーデンか)に寄った。言葉も分からず困っていると、側にいた男たちがビールを頼んでくれた。 



一人で2杯ほどジョッキを開けた頃、目の前の席に座る3人くらいの男たちが寂しそうな俺に優しさを出したのだろうか。こっちに来い、と手招きをした。乾杯をし、僕と同じくらい下手糞な英語での会話が始まる。年齢はいくつか?どこから来たのか?どこのホテルに泊まっているのか?などと。 


話を聞いていると、その男たちはちょうど50歳くらいの古くからの付き合いのある友人同士らしかった。3人ともベトナム戦争終結頃に20歳頃のはず。酔いも回ってきた俺は、銃を構える身振りをしたりして、みな戦ったのか?と勇気を出して聞いてみた。 


みな一様にして、すぐにその話を変えた。思い出したくない所に触れてしまったのだろうか。癒えない傷跡に触れてしまった自分に少し後悔した。 



そんな話はみなどうでも良い、そんな感じで何回も乾杯を繰り返し、10杯近くものビールを一緒に飲んだ。俺がスーパーで買った韓国焼酎もフランス語の上手な男が試したりした。 



帰り際、一番話をした男が住所を書いた紙を僕に手渡した。明日の朝にでも遊びに来ないか、と。僕はその期待に応えたくなり、 


「朝9時頃には行くよ」 


そう伝えた。 



「お前が明日来なかったら、俺はとても悲しいからな。」 



男はそう言って、僕のビールの代金まで払ってバイクにまたがり帰って行った。店の主人に幾らか払おうとすると、やはり男が全部払ってくれたようで、主人はがんとして金は受け取らなかった。 



フランス語の上手い男のバイクで僕は宿まで送ってもらう事になった。バイクタクシーだと1万ドン(80円くらいか)位の道のりをタダで送ってもらう。いつも歩いて15分の道のりがたったの5分。30年前に戦士だった男の後ろのシートに僕は揺られていた。 




昨日親父から来たメールにはこう書かれていた。 



「ベトナム戦争時代にTVでフエが激戦地だったと言うのを良く見たのは覚えている。そこに俺の息子が今いるのが不思議な気分だよ。」と。 

19世紀に建てられた阮朝王宮の門の一つ 王宮周辺は世界遺産登録されている

フラッグタワー かつては見張り台だったという

ベトナム戦争時に出来たのか城壁には砲弾の後がいくつも見られた

王宮のお濠で釣りをする人々 ベトナムの男は仕事をちゃんとしないのか

フエの街を流れるフオン川にかかる橋 川を境に旧市街と新市街が分かれている

博物館に展示されていたアメリカ軍の戦車M48パットン

こちらは自走砲M107

  • Facebook - Black Circle
  • Instagram - Black Circle
  • Twitter - Black Circle

© 2015~2020 by Sink or Swim ナシオの一か八かの旅ブログ